おおむらさきの日記

読書と映画、生活いろいろ日記

20代が『家族という病 下重暁子』を読んだ感想

幻冬舎新書『家族という病 下重暁子』を読んだ。(思えば幻冬舎というフラグ……)f:id:ohmurasaki_miyabi:20220214175813j:image

 

タイトルは秀逸だが筆者の「お気持ち表明」本だった

まず「家族という病」というタイトルは秀逸。人を惹きつけ、手に取らせる力がある。「写真入り年賀状は幸せの押し売り」というのとかも一定の人をスカッとさせてくれる刺激的な意見。結構みんな思ってるだろうしね。

私は他人の家族のエピソードを聞いたり読んだりするのが好きなのだが、軍人家族に生まれた著者のエピソードは興味深かった。陸軍将校だった著者の父のエピソードなど、濃厚で面白い。私にとっては戦中というのはもはや完全に日本史なのだが、1つの家族のエピソードを聞くことによって、遠かった日本史が近くに手触りを持って感じられるような気がした。

一方、読了して感じたのは、「私」と「その周り」で起こったこと・聞いたことの話を集めました、という本だなということ。
新書で出版されているが、社会学的な知見もないし、これを読んでも何か得られるものは特になかった。筆者のお気持ち表明の本だと思う。

60万部売れたベストセラーだと言うことで、何か新しい知見が得られるだろうかとちょっとワクワクし、「家族という病」というタイトルに惹かれて読み始めた者としては残念な結果に終わった。途中、私が抱いていた「新書」のスタンスと違うぞ…と思い、つい「新書」の定義を調べてしまった。(特に定義はないっぽい)

 

家族関係に悩んでいる人にとっては、家族社会学とか、なんなら純文学を読んでいた方が全然良いし、得られるものもあるだろうと感じた。

 

 

「ごもっとも」と思いつつも、まとまりがない

この本を批判する人に「家族という病」なんてとんでもない!というスタンスで批判する人もいるようだが、私は全然そうは思わなかった。

一つ一つはしごくまっとうで「ですよね」「ごもっとも」と思うような意見が多数ある。

以下にいくつか挙げてみる。

・家族団欒という幻想ではなく、1人ひとりの個人をとり戻すことが、ほんとうの家族を知る近道ではないのか。p17

・籍などと言う枠にとらわれず、「パートナー」という言い方は自由でいい。p71

・家族という閉ざされた関係ではなく、外に向かって開かれた家族でありたい。p71

・女性を登用し、しかも女性に子どもを産んでほしいと思うなら、社会環境を整えることが急務だ。p81

・子どもは何も自分のDNAを受け継いだ子でなければならないわけではない。(略)血などつながらなくとも、思いでつながっていれば十分ではないか。p84


などなど。

これらはほんとうにその通り、と同意する。
p71のような「なんで夫のことを主人と言うわけ?」と言った問いかけ(筆者は「つれあい」と呼んでいる)や、

p84のような「DNAにこだわるな。子どもは子ども。欧米同様に、養子をとったって良いではないか」という意見が、2015年の日本において、80代の女性から発出されたことの意義は大きかったのだろうと考える。

「家族」という空間は幻想であり、血がつながっているからといって過信してもたれかかったり、依存するのはグロテスクだし、悲劇の連鎖につながると思う。閉ざされた家族という空間を打破して、もっと外に開かれるべきというのもその通りだと思う。

私としては以上に挙げたことは「そうですよね」と同意する意見だが、80代の女性がいうのは結構「ラディカル」な意見として刺激的に受け止められるのだろうか。それが売れた理由なのかなあ?といった感想も抱く。

 

だからこそ残念なのは、これらの「ごもっとも」な意見がエッセンスとして散らばってしまっているように感じたこと。であるからなんとも噛み応えがないという印象。

これらの意見の前に、自分と知人のエピソードが盛り込まれ、それ故にこれらの重要なエッセンスがどうしても薄まってしまっているように感じた。

これはもう筆者というより編集者の責任なのかも知れない・・・とかぼんやり思った。

と、いうことで全体を通して、まとまっているな、とは思わず、筆者のお気持ち・感想が羅列されているという印象を受けた。

 

また、語り口はどこかエラそうで終始上から目線な印象も受けた。説教本でもある。だがまあ良い、年齢も年齢だし。一刀両断されたいと言うニーズもあるだろう。
それと、この本は「私」と「その周りの知人」のエピソードで構成されていると言うことははじめに述べたが、これがまたいちいち「ハイソサエティ」臭がプンプンしていて、それはちょっと読んでいてウンザリした。

 

まとめ・雑誌として読めば面白い

多分、これは雑誌である。

雑誌「特集・家族という病 責任編集・下重暁子」だったのである。
もう少し深掘りしてくれれば面白いのに、とか、新書ではなく文庫からエッセイ本として出せば良かったのでは?と思った、が、そこは幻冬舎であった……。きっと売れれば何でもいいのでしょう。