おおむらさきの日記

読書と映画、生活いろいろ日記

【読書】日本の血脈(2013)あの報道の前に読んでたよ日記

日本の血脈(2013) 石井妙子

『女帝 小池百合子』を執筆したことで有名な石井妙子さんの本、
『日本の血脈』が面白かった!ので、読んだよ日記です。(追記もあります)

 

 

文春文庫から2013年に発行されたこの本、文庫だしサラッと読めるかなーと思って手に取ったら、少なくとも私にとっては意外と高カロリーな本でした。
あとがきにも書かれているんですが、「人の思いの集大成が人を作る」んだなぁ・・・ということ、「人は一代でつくられるものではない」んだなぁ・・・というようなことを感じました。

以下、政治家の谷垣さんと俳優の香川照之さんの章だけ書こうと思います。

 

谷垣禎一さんのご先祖に胸熱

谷垣禎一さんのご先祖には感嘆しました。

【影を背負ってーー谷垣禎一 p234より】
松次郎(※専一の父)は趣味や遊びの類は一切せず、ひたすら商売に心血を注ぎ、また何事も独学で学ぼうとした。味醂や酒の醸造に成功できたのも、ひとりで本を読み、醸造学を会得したからだという。家庭の事情で勉学の機会を得られなかった分、学問に対する憧れは人一倍強かった。英語も独学で身に着けようとしたが、独学であるが故に発音がおかしく、さらには50歳を超えてから漢籍の研究をしようとして机に向かった。専一はそんな父の姿を思い出すと「胸が熱くなる」と語っている。

 

率直に松次郎さんが素敵だなと思いましたし、気骨があって頑張り屋の先祖がいたということ、うらやましいなぁという感想を抱きました。自分のルーツの先をたどっていくとどこかで誰かが頑張って、後世を生きる自分たち子孫に繁栄をもたらしている・・・。手を合わせたくなります。こういう人がいたら文字通り先祖信仰に力が入りそうです。
昔の人の頑張りに触れて、私も胸が熱くなりました。


と同時に驚いたのは、谷垣禎一さんが大学を留年していたこと。意外でした。
まあ、でも、ただの大学を留年したわけではなく、あの「東大」を留年しているという注釈はつきますが。
登山にのめり込んで留年とのことですが、著者の石井さんは、在学中にお母様が亡くなったことも関係しているのではと推測しています。
そして留年を重ねた後に東大を卒業するも、こんどは司法試験に足掻く谷垣さん。
谷垣さんの友人によれば「お昼頃起きて、俺何やってんだろうと思った」時期もあったとのこと、なんだか急に親近感が湧きます

もっとも、東大を卒業して司法試験受験生、父は議員ということで、そんじょそこいらのこもりびととは違うわけです、が、谷垣さんも自らの方向性に悩んだり、生と死を見つめたり、苦闘する期間があったのかなと想像すると、「議員先生」の前に「人間期間」があったんだな、となぜかほっとする自分がいました。
なんというか、普段それだけ「議員先生」に対して人間性を感じていないのかも知れません。


余談ですが、「強くて優秀で頼りがいのある議員像」だけでなく、これからはもっと「苦悶しながら成長した」「弱い自分だったからこそ」というような、人々に寄り添える人物像を打ち出した候補者が現れてほしいです。
有権者の信頼と共感を得られる気がしますし、そちらのほうも今後スタンダードになってほしいです。

話は戻って谷垣さんですが、やっと司法試験に受かったと思ったら父が死去し、周囲に説き伏せられて議員に立候補させられてしまいます。かなり慌ただしい選挙活動、当選、議員生活をスタートさせます。そして有名な加藤の乱。「大将なんだから・・・」のシーン。
ハイソサエティはハイソサエティと結婚して、の繰り返しでまたハイソサエティを連綿と生み出していくんだなぁ、そんで日本を動かしていくんだなぁ、といった感想も抱きましたが、大戦のさなかでの先祖のストーリーも併せて、大河ドラマのように骨太な物語性のある章でした。

 

香川照之の「名演」はパパへの訴え?


あと印象に残ったのは香川照之さんの章。俳優ながら、いまでは情報番組の司会をするほどに大人気で需要の高い香川さん。「カマキリ先生」で昆虫大好き!なお茶目な姿を見せたかと思えば「半沢直樹」では熱演を繰り広げる。アパレルブランドもプロデュースするし「市川中車」という歌舞伎役者の顔も持つ。

私は見てないのですが、半沢最終回とかもうフィーバーって感じでしたよね。
で、香川さんの「熱演」=「演技派だよね」という評価になる見解がほとんどだと思うのですが、石井さんは果たしてそうか?みたいなことを書かれています。「どうもその熱さはお父さんに見てほしくてたまらないからに見えるんだよね」みたいな。

なぜそうなったのか、章タイトルの「癒やされぬこども」とはどういうことか。そのあたりは読んでもらった方が面白いのですが、これを読んで私は香川照之という人の「父性の追求」の執念のようなものを感じてなんか引きました。いや、物語性があったり苦闘したりして乗り越えてきたような人間性のある人の方が面白いよねっていうのを谷垣さんの部分でも書いたばかりで、今度は引くのかよって感じなのですが。

なんというか、父性の追求をするあまり、女系の軽視や女性嫌悪がうっすらと漂っている気がしたのです。そして「血脈」への強いこだわり
俺は本当だったら父の元で歌舞伎役者になるはずだったのに・・・父と過ごしたかった・・・父に認められたい・・・そんな希求をひしひしと感じ、男系の血脈継承への執念の深さを感じさせられました。そしてそれは香川さんに長男が生まれるとついに前例のない出来事となって結実します。
「おれ、歌舞伎役者になります!」「息子を歌舞伎役者にさせます!」
なんと歌舞伎界に中年で入る。そして市川中車襲名。長男は市川団子襲名。
う、うーーーん。
もちろん血筋的には継承の資格はバリバリあるのかも知れませんが、それにしても異例ですよね。

いろいろなしきたりや常識を破って不可能を可能にした、ということ、俳優としてすでに超有名な香川照之が歌舞伎挑戦、ということ。それ自体がエンタメとなっているし実際集客効果もあるでしょう。誰かに何らかの勇気を与えたかも知れません。歌舞伎界に新たな風が吹き込んだという見方もできるかも知れません。
しかし、私には、子どもを使ってまで自分の野心を叶えようとしちゃったかぁ・・・という感想を抱きました。いや、野心というか満たされなかった心でしょうか。

近年、小説や映画でも、家族って「血のつながり」だけじゃないよね、もっと別のつながりもあるよね、それだってゆたかな「家族」だよね、といったメッセージのあるものがたくさん生まれてきていると思います。家業継承にしても、やみくもに子孫に継がせれば良いというものではないし、それは議員もそうです。個人には自由があるし、それぞれ人格があるし、何かの継承や連帯は「血」だけに留まらないし、それを超えていくゆるやかさや自由も必要だと思います。
しかし香川照之さんはそうしませんでした。「諦め」ませんでした。逆行したともとれるかもしれません。自分の幼い子どもを「歌舞伎役者」に「した」のです。
歌舞伎界の構造が血を重視する限り、そうするしか手立てがなかったのかも知れませんが・・・。青年になった今の市川団子さんが生き生きされているのでほっとしますが、正直、当時の香川さんがやった「新たな挑戦」はグロテスクでもあると感じます。こういうのは結果良ければすべてよし!かも知れませんが、そうやって忘れていくことで旧来の弊害への逆行につながるものもあるような気がしています。
著者の石井さんは、
「芸のわかる観客がいなくなれば、自然と血脈や知名度、わかりやすい親子物語が優先されていくのか」と私たちに問うています。
そしてそれは「歌舞伎界に限られたことではなく、今の日本社会全体を覆う、ひとつの風潮、あるいは病理のように思える」と。
めちゃくちゃ本質を突いています。これは本質情報なのですが・・・ってやつです。(ちなみにこの本の1発目は「小泉進次郎」さんです。そういうことも含めて響きます)
血脈をつなぐことによる継承と創造、つながっていること、たどれることの安心感と信頼もあります。が、そうやって血に頼るわかりやすいストーリーをいつまでも求め続けるのだろうか、それによって誰かが犠牲になっていないだろうか、そこに「本質」はあるのだろうか?そんなことを感じさせられた本でした。

 

 

追記


これを書きおわった後に例の性加害報道が出ました。少し時間が経ち、(良くも悪くも)世間が静かになったと思うので、この読書感想文をそっとのっけてみようと思います。