おおむらさきの日記

読書と映画、生活いろいろ日記

【WHP01K】ヘッドホンのイヤーパッドを交換した

ずっと使っていたお気に入りのヘッドホン、WHP01Kのイヤーパッドを交換したよという日記です。

私にとって初めてのノイズキャンセリング付きヘッドフォン。
あと、有線ケーブルも使えるので、ポーダブルDVDプレイヤーで映画なんかを観るときは欠かせません。DVDを回す機械音がうるさいのですが、こちらのヘッドホンのノイキャン機能を使うとかなりマシになり、映画音声もくっきりはっきり聞こえる感じになります。

 

 

・・・そんなお気に入りのヘッドフォン、

いつの間にかイヤーパッドの生地に裂け目が見え始め、それからあっという間にこの状態に。

f:id:ohmurasaki_miyabi:20230601162911j:image

ボロボロです。
家用なのでそれでもしばらく使っていたのですが、生地がポロポロと落ちまくり、さすがにストレスになってきていました。

交換用はあるのか検索してみると、ちょうど公式でも交換用イヤーパッドが販売されるようになったところみたいでした!↓

WHP01K用イヤーパッド – final 公式ストア


どうやら、それまではサポートに問い合わせると購入可能だったみたいです。問い合わせの声が多かったのでしょうか?良いタイミングでした。ありがたいですね~

とはいえ、価格は両耳3200円・・・・・・。購入時10000円しなかったくらいだったので、個人的にはちょっと高いかなと思いました。

やや迷いましたが、まあ、でも、ふかふかのイヤーパッドが好きだったので購入を決めました。(加えて、生地がポロポロ落ちるのがだいぶストレスになってきていたのも強い決め手。)

2021年の8月あたりに買ったので大体2年弱、少なくとも1年半以上は持ったんだなという印象です。

公式サイトで購入する際、アカウントを登録しなきゃいけないのが地味にめんどくさいです。ただもう新しいヘッドフォンを探す気力もお金もないし、生地もドンドン落ちてくるしなので、そこはもう乗り越えるべき関門です(?)
アマゾンなどでも販売したら、交換用があるなら、ってかんじで新規で買う人も増えるんじゃないですかね~。


ゆうパケットで届きました。



f:id:ohmurasaki_miyabi:20230601163005j:image

ジャン!(もちろんビニール袋に入ってましたよ)

 

さて、イヤーパッド交換ですが、公式さんが親切に動画を出してくれているので、初めてでしたが簡単にできました。

 

ag | WHP01K ユーザーガイド | イヤーパッド交換方法 - YouTube

 

f:id:ohmurasaki_miyabi:20230601163144j:image

8つのツメに合わせて着脱します
f:id:ohmurasaki_miyabi:20230601163150j:image


これからもおうち時間の相棒として活躍してくれそうです!!

f:id:ohmurasaki_miyabi:20230601163203j:image

【読書】『少女のための海外の話』著:三砂ちづる

『少女のための海外の話』読んだよ日記です。

 

地元図書館にて、ティーンズ向けの本棚に置いてあり、気になったので読んでみました。

 

章立てはこんな感じ。
1章 海外へ行く準備
2章 役に立つ持ち物
3章 外国語の学び方
4章 海外で支えになるもの

 

2章では、

ビザの説明から始まり、

飛行機での過ごし方、

空港ではロストバゲージすることもある、

初めて行ったアフリカで暑いと思い込んでいたら結構寒かったよ、手荷物には必要最低限のものを入れておこうね、……みたいな話などが書かれている。


このような基本的なことも、エピソードも混じえながらやさしく語りかけられるように書かれていて、新鮮。
読みながら海外に飛ぶことのロマンを改めて感じる。空港でぶわ〜っと異国の風を感じる時のような。

 

少女のための海外の話

少女のための海外の話

Amazon

 

タイトルに「少女のための」とある通りだが、筆者が母子保健の専門家というのもあり、

海外に行ってみたいという夢を抱いている女の子には、初めの一冊としてちょうど良い本かもしれないね、と思いながら読んでいた。

 

 

「月経血コントロール」?

ただ、ちょっと気になったところを一応書いておこうと思う。

同じ章には「海外で生理になったら?」という節がある。
そこには海外で生理用ナプキンが手に入らなくても大丈夫、ということが書いてあり、

で、覚えておくといいから紹介しておくね、という感じで言及されているのは「月経血コントロール」というもの。
それというのは、なるべく「意識」して、「出そう」になったら、「できるだけトイレで出す」というもの、らしい。

ほお………。


続けて筆者が指摘しているのは、普段ナプキンを当てている=月経血が「垂れ流し」状態である、ということ。

 

垂れ流し…?まあ確かにそうだけど…と、初めて聞く私としては新鮮な指摘だったが、

ちょっと正直に言えば、耳慣れないがゆえに、なぜこれをティーンの女の子向けの本に?と疑問符がついた部分も否めない。

個人的に、近代化以前の身体の使い方の良さを説く言説って、な〜んかアレルギーがある(特に江戸とか)。私の場合、どっかのイデオロギーとなんか結びついてるのか?みたいに怪しんでしまう傾向があるみたいだ。

 

 

で、「月経血コントロール」でググってみたところ、どうやら著者関係のキーワードのようだった。

これに対する批判もあるらしい。どんな内容かというと、

月経血コントロールというのはコントロールしているようで実際は何回もトイレに行かなくてはならなくなり、生理の奴隷になってしまう、みたいなもののようだ。

私はこのことについて、このコントロールをするのが良いのかどうなのか、よくわからない。

したところで害は無さそうだけど、この辺りは著者の代表作を詳しく読む必要がありそう。

まあ、海外でナプキンが手に入らなかった場合、というなかでの一応の言及ではあるけど、

ちょっと原始主義?ナチュラル思考強め?なのかなー…?みたいな印象は抱いたかな。布ナプ信仰界隈?とかもちょっと危うい感じがあるので。

 


で、本文の話に戻りますが、

筆者は、無理をする必要はない、と繰り返し説きながらも、

「そういうことができるのかもしれない、と思うだけで、月経が少し楽しみになったりするのではないか、と思います。(p104)」
「生理があった時も、毎月リズムがあって良いものでしたが、なくなったらなくなったで、はればれ広々とした気持ちで毎日を暮らしています。これも良い時期なのですが、生理があるときは女性として最も輝いている時期でもあります。どうぞ毎月生理を楽しみ、また、海外でも工夫しながら健やかに暮らしてもらいたい、と思います。(p106)」

という記述があるので、筆者にとって「生理=苦しいもの」という認識ではないらしい。


「生理を楽しみ」という筆者の主張は、私にはポジティブすぎるように思えて、ちょっと面食らった。

まあ、こういう風に受け止められる人もいるんだなぁとしみじみ思った。生理といっても個人差があるからしょうがないかもしれない。

 

でも、ティーンズの女の子には、このくらい前向きな受け止めの方がいいのかな、とも思う。だからまあ、月経血コントロールっていうのも、多分悪くないのかもしれない……と思う。

ただ、ティーンズ向けの本にこういうことが書いてあるんだ〜〜と、ちょっと面食らった、という話です。

 

 

国際協力の仕事について知りたい人は3章、4章がより参考になります。

JPO派遣の制度についてもわかりやすく書かれている。

国際機関で働くのはハードルが高いとされる我々日本語話者ですが、へえ、こういうルートもあるんだ、と思わせてくれるかも。

 

少女のための、とありますが大人にも興味深く、十分参考になる本でした。

【読書】趣味で腹いっぱい(山﨑ナオコーラ著)

『趣味で腹いっぱい』読んだよ日記です。

 

 

ドーン!と自分の価値観を覆される、という感じではないが、淡々と揺るがされている感じ。はっ!と気づかされるのではなく、ふと、気づかされる感じ。
相変わらずというか、ちょっと不思議な感覚の読書だった。

 

 

 

きちんと対話しあいながら生活を営む夫婦のゆるふわでほんのりとした世界観の小説、

としても読めるけど、ストーリー仕立てでありながら(←小説だから当たり前だけど)、

実のところ有用性について(そのジェンダーも絡ませながら)読者に問うような、実験的な小説だと感じた。

 

とはいえ説教臭さは全くなく。
その上心穏やか〜な読後感も味わえるのに、気づいたら自分の先入観を見事に揺るがされている、という、なんだかちょっと本当に不思議な読書体験。easy to readなんだけど、自分の中で、一筋縄に終わらない感じがある。


ナオコーラ氏の本は『ベランダ園芸で考えたこと』と『反人生』を読んだことがあり、どちらも印象的な本だったが、今回もそうだった。

そしてそれらと共通して偏在していると感じたのは、”役に立つ” ということへの問い。
それは、”ただ生きていていい”みたいなメッセージだとも感じた。
仕事をしなくても、子どもを産まなくても、役に立たなくても、生きてていいじゃん。と。

レビューなんかを見ていると、

仕事をせず、趣味に生きる鞠子に
読者から「共感できない」「甘えてる」「イライラする」といった感想が生まれるのは「働かざる者食うべからず」という共通認識がある社会ではまあ、当然のことなのかもしれない。
ただ、そこで終わらせないで、「なんで鞠子にイラつくんだろう」とふと考え始めたとき、ナオコーラ氏が問いかけている”何か”に対する思考が始まる気がする。
私は鞠子、嫌いじゃない。飄々としているようでゴリゴリに揺るがない感じ、羨ましい〜〜とすら感じる。

 

実験のように始まった結婚生活は穏やかにつづき、そのなかでぽつぽつと繰り出される「名言」の数々が良いです。ナオコーラ氏みたいな作家がいるの、マジでありがてえな〜とかふと思う。

しんぶん赤旗で連載されていたと言うが、赤旗ってこういうの連載してるんだ!と驚きつつ、なんか納得である。

 

文庫化されて改題されているようです。

 

【読書】「ベトナムの風に吹かれて」(小松みゆき著) 【めちゃくちゃいい】

ベトナムの風に吹かれて』読んだよ日記です。

映画の原作。

映画はまだ観ていないのですが、

このエッセイ、めちゃくちゃ良いです。

 

 

 

2001年12月、日本語教師の筆者は、新潟で暮らす81歳の母、Baちゃん(要介護3)をベトナムハノイに迎えて同居生活を始める。

…ここまでで結構びっくりしますよね。

ベトナムで介護?と。

でも、これが本作の始まり。

 

パスポートを取るのも一苦労で、そもそも田舎の親戚からは反対されていて…

と、なかなか一筋縄ではいかないのだが、

筆者は父(102歳で他界)の死から2か月ほどで着実にやるべきことを遂行していく。

母と二人幸せになるために。


無事ベトナムに着いてから(←ここまででもう既に読み応えがある)、

ベトナム人、現地に住む日本人、様々な人との関わりがあり、助けてもらいながら母との暮らしを営んでいく。

お母さまが雪国から解放されてのびのび生活している様子にこちらまで嬉しくなる。

認知症ともあって、なぜ自分がベトナムにいるのか時々わかっていないような場面もあるのだが、それでも幸せそうで、それを見るお嬢さんである筆者も嬉しそうで。

このエッセイはベトナム暮らし×海外介護」が主な軸としてあるのだと思うけど、それだけじゃない。


「婚家からの解放」

「戦争によって壊されたもの」

認知症も異文化として捉える」

 

などといった事柄もエッセイの中で語られていて、とても興味深い。

特にこの「婚家からの解放」はこの本のもう一つのテーマではないだろうか。

実はこのエッセイは、力をつけた娘が異国の地で母を幸せにするという、

パワフル・エンパワメント・フェミニズム物語なのだと私は勝手に解釈しています。


1945年5月、戦争末期に21歳年上で6人の子持ちの農家に嫁いだBaちゃん。
大正9年生まれの母のこれまでの人生の断片が、ベトナムで語られていく。

雪国の農家…その嫁…。

21歳歳上の夫…6人の先住する子ども…。

そして新たに生まれた自分の子ども。

筆者も、自分の家のことでもあるし、親戚もいるだろうし、表現は抑制的になっていると思う。別に悪い感情があるわけでもないのもわかる。それでも、Baちゃんの置かれていた状況や筆者の気持ちをすぐに理解できた気がした。

筆者がなぜ海外で介護をしたいと思ったのか。

これは私が女だからだろうか。家制度の下で生きるしかなかった母や祖母、もっと古い女たちの存在を知っているからだろうか。

Baちゃんを始めとする、当時の女性の困難に想いを馳せることしかできない、読者のわたしです。

 

ベトナムの風に吹かれて」という本のタイトルも、読み終えてさらに味わい深い感じがしました。

 

 

 

そして、認知症
認知症とはいえ、いろんな瞬間で昔のものごとを思い出す時がある。そして娘である筆者もそれを丁寧に受け止める。
「この病気をあなどってはいけない。上手に付き合えば、記憶の引き出しからもっと宝物が出てくるかもしれない。」

という筆者の言葉が印象的でハッとさせられる。

筆者の考える、

認知症も病ではなく、異文化として捉えたら面白いかも」という認知症への眼差しは、日本語教師としてベトナムに住み、異文化と真摯に向き合っていたからこその発想なのではと思う。
Baちゃん失踪事件もあってハラハラするのだが、探し回った挙句、ニッコーホテルに無事「届けられて」いたりとちょっと笑える。

大変な事件ではあるのだろうが、Baちゃんの海外介護にはどこかカラッとした感じが漂う。

これが日本だったらもっと深刻さを帯びて、ウェットな感じになってしまうような気もする。

認知症というだけで、日本の田舎では厄介者扱いされていたが、ベトナムではちょっとしたアイドルのように愛されたり、癒しの存在となったりする様子にはほのぼのとする。

海外エッセイとしてベトナムの香りを感じられるだけでなく、人生の締めくくりを迎えた81歳の女性の独立&ベトナム見聞録の話でもあるし、とにかくめちゃくちゃ面白い。唯一無二のエッセイでは?と思っています。

 

著者の他の本もぜひ読んでみたい、と思わされる一冊。映画化した人、本当センスあると思う。(何様だい)

【読書】毒親の棄て方 (2015)娘のための自信回復マニュアル

毒親の棄て方』(作者:スーザン・フォワード)

読んだよ日記です。

 

 

長い時間かかって読了。

訳も良くわかりやすかったです。ただ、この手の本は読み進めるのに時間がかかりがち。。。

タイトルが「毒親の棄て方」と超・刺激的なタイトルなので手に取る人も少ないかもしれませんね。ですが、良書でしたのでぜひ読んでみてほしい本です。

娘に終始寄り添い、自信を回復させる本

本書は親子関係のうち、母親と娘の関係に絞って書かれたものです。


「母親からずっと聞かされてきた釈明や正当化は一切なし。おかげで、これまでよりもずっと明確に母親を理解できるだろう(P18)」

というスタンスのもと、徹底的かつ常に娘側の味方に立っている本で、暖かく力強い言葉が連なり、終始一貫して娘たちを励ましています。


ちなみに、母親バッシングの本ではありません。フロイト派の「母親にすべて責任がある」といった母親バッシングは間違っているとも言及されています。

 

ただ、 「母親=健全な愛情の持ち主」とする幻想を葬り去るべきだとしています。

それは、母親神話を揺るがす、“タブーとの対決”でもあるわけですが、筆者はあえて現実をはっきりと把握することを勧めています。


母親にもこんなにいいところがあるんだから、と欠点に目をつぶって受け入れる態度は、ポジティブに思えるかもしれない。でも、それはあなたの人生に潜む感情のマグマのようなものを抑えつけてしまうことだ。「作り笑いで耐える」状態によって平和は保たれるが、それは屈辱と恐怖がもたらす麻痺状態よりも、いっそうまずい選択肢だ。真実から目をそむけ暗闇にとどまり続けることは記憶喪失も同然なのだ。

(p.25)

 

痺れる、ハッとさせられる、

そんな文章ではないでしょうか?

 

どうしても、子供である娘は母親を理解しよう、信じようとしますよね。
「ママだって大変だったんだ」とか「あたしものろまだったからイライラしちゃったのかな」とか。

周りも、例えば親戚や友人、もしかするとカウンセラーですらも「許して忘れて人生と折り合いをつけよう」とか「すべて過去のことだから先に進もう」とか「お母さんにも理解を示してあげよう」「お母さんも問題を抱えているんだよ」とか言ってくるかもしれません。
その結果、娘は、母親をどうにか理解しようとし、そうして自分に責任を見いだしたりし、実はずっと苦しんでいるのに、さらに自分を責め、もっと混乱してしまう

そもそも、周りからの言葉は大概の場合無責任で、娘の感情や経験を低く見ています
筆者は、そういったことも逐一指摘。そして、そうしたカウンセラーはさっさとやめろとし、そういったことを言ってくる周りにも具体的な対処法を提案しています。


母親が自分にしてきたこと、自分が苦しい思いをしてきたことを直視するのは過酷なことだと思います。

しかし、向き合うことで、かつての傷からなにか英知を手に入れられるかもしれない、新たな自分になれるかもしれないと感じさせてくれる良書でした。

 

終始、娘の味方であるので「母親は悪者なの?」と気分が悪くなる人ももしかしたらいるかもしれません。しかし、先ほども述べましたが、あくまでも母親を明確に理解するために母親の正当化をしないのであります。

この本では母親側の釈明にページを一切割かないことで、

娘としてもなかなか受け入れがたい「毒になってきた母親の言動」、「自分(娘)が受けてきた傷」のクリアな認識に役立っていると思います。

(母親の事情説明にページを割くのは一見中立なようで話がごちゃごちゃしますしね)


このことで「娘の傷」に全面的にフォーカスが当たり、「ではどうやって自信を回復していくか」という部分が読者にとってわかりやすくなっています。

さすが「毒親」の名付け親としても長年問題に向き合ってきた著者の本です。

 

で、重要な「娘の自信の回復の仕方」ですが、わたしが参考になったのは「嘘と真実の課題」と「ティーパーティー関係」というもの。後者は「おしゃべりは表面的なことにして心をさらけ出さないこと」をティーパーティ関係と名付けたものです。これ、名付けによって、そうした関係への納得度・腹落ち度が高まった気がします。

前者に関して気になった方は是非本書を読んでほしいです。

 

翻訳本で「毒親本」を読む良さ

わたしは勝手なイメージと偏見で、なんだかんだアメリカは「家族仲良し!」な人たちという印象を持っていましたが、もちろんみんながみんなそうではなく、苦しんでいる人たちも多いのだと知りました。当たり前のことかもしれませんが、長い読書時間をかけてそれを実感できたのは異文化理解にもつながったかなと。

 

本書に出てくる様々な女性の事例・エピソードを読んでいくうちに、いわゆる毒親母の輪郭がくっきりしてくるのですが、それを読みながら思うのは「親に苦しむのは万国共通の可能性」なのだということ。

そこにお国柄もない、そう考えると、自分の抱えている問題や葛藤に自信が持てる気がします。奇妙なことかもしれませんが。

 

親を大事にしなければいけないという観念が根強いアジア諸国だけでなく、自由の国アメリカでも、親との関係に苦しむ大人になった子供たちがいるのだということ。

そして「母と娘」の関係はどこでもややこしく面倒なものなのかもしれない、ということ。

 

個人的に、日本で書かれた毒親本を読むと、自国の事例なので心理的距離感も近いのですが、近いがゆえにちょっとしんどくなったり、

「あーー我が国ィィ」と自国がゆえに自国を恨めしく思うみたいな現象も発生していました。

日本は確かに滅びゆく島国かもしれませんが、実際そこにしばらく住まなくてはいけない者にとって自分による自国サゲの発生はなかなかにキツいものがあります。
だからこそというか、やはり、洋書の翻訳版を読むと視座が高くなる気がします。

余計なルサンチマンを抱えなくてすむというか、よりクリアな目で自分が知りたかったことに対処できる気がする。

見えないけれど万国の連帯の糸の可能性を感じる。そういった意味でも、本書を読むことはおすすめです。

【読書】日本の血脈(2013)あの報道の前に読んでたよ日記

日本の血脈(2013) 石井妙子

『女帝 小池百合子』を執筆したことで有名な石井妙子さんの本、
『日本の血脈』が面白かった!ので、読んだよ日記です。(追記もあります)

 

 

文春文庫から2013年に発行されたこの本、文庫だしサラッと読めるかなーと思って手に取ったら、少なくとも私にとっては意外と高カロリーな本でした。
あとがきにも書かれているんですが、「人の思いの集大成が人を作る」んだなぁ・・・ということ、「人は一代でつくられるものではない」んだなぁ・・・というようなことを感じました。

以下、政治家の谷垣さんと俳優の香川照之さんの章だけ書こうと思います。

 

谷垣禎一さんのご先祖に胸熱

谷垣禎一さんのご先祖には感嘆しました。

【影を背負ってーー谷垣禎一 p234より】
松次郎(※専一の父)は趣味や遊びの類は一切せず、ひたすら商売に心血を注ぎ、また何事も独学で学ぼうとした。味醂や酒の醸造に成功できたのも、ひとりで本を読み、醸造学を会得したからだという。家庭の事情で勉学の機会を得られなかった分、学問に対する憧れは人一倍強かった。英語も独学で身に着けようとしたが、独学であるが故に発音がおかしく、さらには50歳を超えてから漢籍の研究をしようとして机に向かった。専一はそんな父の姿を思い出すと「胸が熱くなる」と語っている。

 

率直に松次郎さんが素敵だなと思いましたし、気骨があって頑張り屋の先祖がいたということ、うらやましいなぁという感想を抱きました。自分のルーツの先をたどっていくとどこかで誰かが頑張って、後世を生きる自分たち子孫に繁栄をもたらしている・・・。手を合わせたくなります。こういう人がいたら文字通り先祖信仰に力が入りそうです。
昔の人の頑張りに触れて、私も胸が熱くなりました。


と同時に驚いたのは、谷垣禎一さんが大学を留年していたこと。意外でした。
まあ、でも、ただの大学を留年したわけではなく、あの「東大」を留年しているという注釈はつきますが。
登山にのめり込んで留年とのことですが、著者の石井さんは、在学中にお母様が亡くなったことも関係しているのではと推測しています。
そして留年を重ねた後に東大を卒業するも、こんどは司法試験に足掻く谷垣さん。
谷垣さんの友人によれば「お昼頃起きて、俺何やってんだろうと思った」時期もあったとのこと、なんだか急に親近感が湧きます

もっとも、東大を卒業して司法試験受験生、父は議員ということで、そんじょそこいらのこもりびととは違うわけです、が、谷垣さんも自らの方向性に悩んだり、生と死を見つめたり、苦闘する期間があったのかなと想像すると、「議員先生」の前に「人間期間」があったんだな、となぜかほっとする自分がいました。
なんというか、普段それだけ「議員先生」に対して人間性を感じていないのかも知れません。


余談ですが、「強くて優秀で頼りがいのある議員像」だけでなく、これからはもっと「苦悶しながら成長した」「弱い自分だったからこそ」というような、人々に寄り添える人物像を打ち出した候補者が現れてほしいです。
有権者の信頼と共感を得られる気がしますし、そちらのほうも今後スタンダードになってほしいです。

話は戻って谷垣さんですが、やっと司法試験に受かったと思ったら父が死去し、周囲に説き伏せられて議員に立候補させられてしまいます。かなり慌ただしい選挙活動、当選、議員生活をスタートさせます。そして有名な加藤の乱。「大将なんだから・・・」のシーン。
ハイソサエティはハイソサエティと結婚して、の繰り返しでまたハイソサエティを連綿と生み出していくんだなぁ、そんで日本を動かしていくんだなぁ、といった感想も抱きましたが、大戦のさなかでの先祖のストーリーも併せて、大河ドラマのように骨太な物語性のある章でした。

 

香川照之の「名演」はパパへの訴え?


あと印象に残ったのは香川照之さんの章。俳優ながら、いまでは情報番組の司会をするほどに大人気で需要の高い香川さん。「カマキリ先生」で昆虫大好き!なお茶目な姿を見せたかと思えば「半沢直樹」では熱演を繰り広げる。アパレルブランドもプロデュースするし「市川中車」という歌舞伎役者の顔も持つ。

私は見てないのですが、半沢最終回とかもうフィーバーって感じでしたよね。
で、香川さんの「熱演」=「演技派だよね」という評価になる見解がほとんどだと思うのですが、石井さんは果たしてそうか?みたいなことを書かれています。「どうもその熱さはお父さんに見てほしくてたまらないからに見えるんだよね」みたいな。

なぜそうなったのか、章タイトルの「癒やされぬこども」とはどういうことか。そのあたりは読んでもらった方が面白いのですが、これを読んで私は香川照之という人の「父性の追求」の執念のようなものを感じてなんか引きました。いや、物語性があったり苦闘したりして乗り越えてきたような人間性のある人の方が面白いよねっていうのを谷垣さんの部分でも書いたばかりで、今度は引くのかよって感じなのですが。

なんというか、父性の追求をするあまり、女系の軽視や女性嫌悪がうっすらと漂っている気がしたのです。そして「血脈」への強いこだわり
俺は本当だったら父の元で歌舞伎役者になるはずだったのに・・・父と過ごしたかった・・・父に認められたい・・・そんな希求をひしひしと感じ、男系の血脈継承への執念の深さを感じさせられました。そしてそれは香川さんに長男が生まれるとついに前例のない出来事となって結実します。
「おれ、歌舞伎役者になります!」「息子を歌舞伎役者にさせます!」
なんと歌舞伎界に中年で入る。そして市川中車襲名。長男は市川団子襲名。
う、うーーーん。
もちろん血筋的には継承の資格はバリバリあるのかも知れませんが、それにしても異例ですよね。

いろいろなしきたりや常識を破って不可能を可能にした、ということ、俳優としてすでに超有名な香川照之が歌舞伎挑戦、ということ。それ自体がエンタメとなっているし実際集客効果もあるでしょう。誰かに何らかの勇気を与えたかも知れません。歌舞伎界に新たな風が吹き込んだという見方もできるかも知れません。
しかし、私には、子どもを使ってまで自分の野心を叶えようとしちゃったかぁ・・・という感想を抱きました。いや、野心というか満たされなかった心でしょうか。

近年、小説や映画でも、家族って「血のつながり」だけじゃないよね、もっと別のつながりもあるよね、それだってゆたかな「家族」だよね、といったメッセージのあるものがたくさん生まれてきていると思います。家業継承にしても、やみくもに子孫に継がせれば良いというものではないし、それは議員もそうです。個人には自由があるし、それぞれ人格があるし、何かの継承や連帯は「血」だけに留まらないし、それを超えていくゆるやかさや自由も必要だと思います。
しかし香川照之さんはそうしませんでした。「諦め」ませんでした。逆行したともとれるかもしれません。自分の幼い子どもを「歌舞伎役者」に「した」のです。
歌舞伎界の構造が血を重視する限り、そうするしか手立てがなかったのかも知れませんが・・・。青年になった今の市川団子さんが生き生きされているのでほっとしますが、正直、当時の香川さんがやった「新たな挑戦」はグロテスクでもあると感じます。こういうのは結果良ければすべてよし!かも知れませんが、そうやって忘れていくことで旧来の弊害への逆行につながるものもあるような気がしています。
著者の石井さんは、
「芸のわかる観客がいなくなれば、自然と血脈や知名度、わかりやすい親子物語が優先されていくのか」と私たちに問うています。
そしてそれは「歌舞伎界に限られたことではなく、今の日本社会全体を覆う、ひとつの風潮、あるいは病理のように思える」と。
めちゃくちゃ本質を突いています。これは本質情報なのですが・・・ってやつです。(ちなみにこの本の1発目は「小泉進次郎」さんです。そういうことも含めて響きます)
血脈をつなぐことによる継承と創造、つながっていること、たどれることの安心感と信頼もあります。が、そうやって血に頼るわかりやすいストーリーをいつまでも求め続けるのだろうか、それによって誰かが犠牲になっていないだろうか、そこに「本質」はあるのだろうか?そんなことを感じさせられた本でした。

 

 

追記


これを書きおわった後に例の性加害報道が出ました。少し時間が経ち、(良くも悪くも)世間が静かになったと思うので、この読書感想文をそっとのっけてみようと思います。

【映画】建築学概論(2012)

韓国映画建築学概論』観たよ日記です。

 

2012年の映画(日本での公開は2013年)。

 

 

あらすじはこんな感じ。

建築学科に通う大学生スンミンは建築学概論の授業で音楽科の学生ソヨンと出会う。授業の課題を一緒にこなしていく課程で二人の距離は縮まっていくが、恋に奥手なスンミンは自分の想いを告白することができないまま、とある誤解から2人は疎遠になってしまう。

15年後、建築士となったスンミンのもとに突然ソヨンが現れ、「自分が建てる家を設計してほしい」と頼まれる。家を設計していく中で15年前の記憶が甦り、2人に新たな感情が生まれ始める・・・。

 

ざっくりした感想

・大学生ソヨンのペ・スジちゃん、透明感があってとってもキュート。「国民の初恋」と呼ばれたそうな。めっちゃ可愛かったです。
・15年後ソヨンのハン・ガインさん、所々堀北真希に似てる?と思ったのは私だけ?
・ペ・スジはあえて大学一年生らしくノーメイクっぽいメイクとややもっさりした衣装でしたが、対するハン・ガインはメイクも衣装もキリッと洗練された感じで、時間の経過と女性の成長が演出されていました。
・大学生スンミンのイ・ジェフンは線が細く「一人称・僕」が似合いそうな男の子なのですが、15年経ってオム・テウンが演じたスンミンは、ちょっとゴリッとした、もはや「おじさん」な男性になっていました。
・ソヨンがスンミンに故郷に建ててもらう家はスタイリッシュで格好良かった。あの大きな窓いいですね。

 

 

切ないけど"キモい"

甘酸っぱく切ない映画と言われればそうだし、青春映画でも恋愛映画でもあるのですが、私にとってはその「切なさ」が若干「キモさ」に変換されてしまった部分があります・・・。


そもそも、回想の大学時代の話を一言で言うとしたなら、恋愛初心者の建築学科の男子学生が建築学概論という授業になぜかいた音楽学科の可愛い女子学生に一目惚れをして、運良く距離も縮まり恋を楽しむも、いざ告白しようと言うときにこれから先輩に食われるであろうという彼女を目撃してしまいショックを受け疎遠になってしまう、という話。
そして現代パートのお話は、おじさん(失礼)とおばさん(失礼)が若かりし青春時代を思い出し、感傷的になる、という話・・・。(ざっくり)
女ははじめから狙ってきてるし、男は結婚が決まっているのにも関わらず、思わず突然再会した初恋相手に傾きかけてしまう・・・。心の中はまだ若者なのね、とため息が出ます。ザ・人間の愚かさを観ているようです。

そういう感想はいいんだよ、という感想が聞こえてくるようです。ええ、小説として読んだら物語性があるし、映画として観ても映像は美しいし美男美女カップルなので楽しんで観れると思います。しかし、現実的に観てしまった私のバカ、全編通してあまりいい感情は抱きませんでした。というのも、どうしてもスンミンの婚約者の立場に同情してしまった部分があるからです。(将来自分がこういう役回りでやきもき・いらいらしそうな予感がしてしまいました。)

突然建築事務所にやってきて、ヒラのスンミンを名指しで指名し、何度も修正を求める美女・・・。結婚式は間近なのに!この女誰よ!もしかして例の初恋相手?!婚約者の夫は初めての大きな仕事&初恋相手に舞い上がってるし!

スンミンは恋愛に奥手な男子だったことから、結局ソヨンに告白することができないまま、建築学概論の講義の終わりとともにその淡い初恋をも終わらせてしまうわけですが、ソヨンはそもそも自分に向けられた好意にも気づいていたわけです(寝ている間にされたキスも本当は知っていたし、告白のプレゼントとして持ってきたスンミンの建築作品もゴミ捨て場から救出してずっと保管していた)。
その事実を何気に温め続けていて、自分が離婚したというタイミングで「どうしているかな~とおもって~」と建築士になったスンミンのところに来る美女。こういう女性、結構な脅威じゃないですか女性の皆さん。
スンミンとしては仕事の依頼だから無碍にもできない(という言い訳が成立)し、なんだかんだ実はうれしい。過ぎ去った青春の日々を再び思い出し、ともに味わう。どちらかというと男性の理想が詰め込まれている感じがします。ノスタルジーとセンチメンタル。

ソヨンも、まあ大学時代も、「一緒に課題やりましょうよ~」なんて建築学科のスンミンに近づいてるし、将来の夢はアナウンサーだし、よく言えば積極性のある女性なんでしょうけど、近くにいたらちょっと嫌かも。

ストーリーとしては結局お互いが過去の若かりし頃の恋愛を人生の一部として昇華し、それぞれの道を歩んでいくという美しいドラマなのはわかります、もっとわかろうとしたのですが・・・なぜこんなにも人気があって有名なのかいまいちよくわかりませんでした。山Pでネトフリリメイクが予定されていたようですが中止になったとか。うん、良かったと思います。