おおむらさきの日記

読書と映画、生活いろいろ日記

【読書】毒親の棄て方 (2015)娘のための自信回復マニュアル

毒親の棄て方』(作者:スーザン・フォワード)

読んだよ日記です。

 

 

長い時間かかって読了。

訳も良くわかりやすかったです。ただ、この手の本は読み進めるのに時間がかかりがち。。。

タイトルが「毒親の棄て方」と超・刺激的なタイトルなので手に取る人も少ないかもしれませんね。ですが、良書でしたのでぜひ読んでみてほしい本です。

娘に終始寄り添い、自信を回復させる本

本書は親子関係のうち、母親と娘の関係に絞って書かれたものです。


「母親からずっと聞かされてきた釈明や正当化は一切なし。おかげで、これまでよりもずっと明確に母親を理解できるだろう(P18)」

というスタンスのもと、徹底的かつ常に娘側の味方に立っている本で、暖かく力強い言葉が連なり、終始一貫して娘たちを励ましています。


ちなみに、母親バッシングの本ではありません。フロイト派の「母親にすべて責任がある」といった母親バッシングは間違っているとも言及されています。

 

ただ、 「母親=健全な愛情の持ち主」とする幻想を葬り去るべきだとしています。

それは、母親神話を揺るがす、“タブーとの対決”でもあるわけですが、筆者はあえて現実をはっきりと把握することを勧めています。


母親にもこんなにいいところがあるんだから、と欠点に目をつぶって受け入れる態度は、ポジティブに思えるかもしれない。でも、それはあなたの人生に潜む感情のマグマのようなものを抑えつけてしまうことだ。「作り笑いで耐える」状態によって平和は保たれるが、それは屈辱と恐怖がもたらす麻痺状態よりも、いっそうまずい選択肢だ。真実から目をそむけ暗闇にとどまり続けることは記憶喪失も同然なのだ。

(p.25)

 

痺れる、ハッとさせられる、

そんな文章ではないでしょうか?

 

どうしても、子供である娘は母親を理解しよう、信じようとしますよね。
「ママだって大変だったんだ」とか「あたしものろまだったからイライラしちゃったのかな」とか。

周りも、例えば親戚や友人、もしかするとカウンセラーですらも「許して忘れて人生と折り合いをつけよう」とか「すべて過去のことだから先に進もう」とか「お母さんにも理解を示してあげよう」「お母さんも問題を抱えているんだよ」とか言ってくるかもしれません。
その結果、娘は、母親をどうにか理解しようとし、そうして自分に責任を見いだしたりし、実はずっと苦しんでいるのに、さらに自分を責め、もっと混乱してしまう

そもそも、周りからの言葉は大概の場合無責任で、娘の感情や経験を低く見ています
筆者は、そういったことも逐一指摘。そして、そうしたカウンセラーはさっさとやめろとし、そういったことを言ってくる周りにも具体的な対処法を提案しています。


母親が自分にしてきたこと、自分が苦しい思いをしてきたことを直視するのは過酷なことだと思います。

しかし、向き合うことで、かつての傷からなにか英知を手に入れられるかもしれない、新たな自分になれるかもしれないと感じさせてくれる良書でした。

 

終始、娘の味方であるので「母親は悪者なの?」と気分が悪くなる人ももしかしたらいるかもしれません。しかし、先ほども述べましたが、あくまでも母親を明確に理解するために母親の正当化をしないのであります。

この本では母親側の釈明にページを一切割かないことで、

娘としてもなかなか受け入れがたい「毒になってきた母親の言動」、「自分(娘)が受けてきた傷」のクリアな認識に役立っていると思います。

(母親の事情説明にページを割くのは一見中立なようで話がごちゃごちゃしますしね)


このことで「娘の傷」に全面的にフォーカスが当たり、「ではどうやって自信を回復していくか」という部分が読者にとってわかりやすくなっています。

さすが「毒親」の名付け親としても長年問題に向き合ってきた著者の本です。

 

で、重要な「娘の自信の回復の仕方」ですが、わたしが参考になったのは「嘘と真実の課題」と「ティーパーティー関係」というもの。後者は「おしゃべりは表面的なことにして心をさらけ出さないこと」をティーパーティ関係と名付けたものです。これ、名付けによって、そうした関係への納得度・腹落ち度が高まった気がします。

前者に関して気になった方は是非本書を読んでほしいです。

 

翻訳本で「毒親本」を読む良さ

わたしは勝手なイメージと偏見で、なんだかんだアメリカは「家族仲良し!」な人たちという印象を持っていましたが、もちろんみんながみんなそうではなく、苦しんでいる人たちも多いのだと知りました。当たり前のことかもしれませんが、長い読書時間をかけてそれを実感できたのは異文化理解にもつながったかなと。

 

本書に出てくる様々な女性の事例・エピソードを読んでいくうちに、いわゆる毒親母の輪郭がくっきりしてくるのですが、それを読みながら思うのは「親に苦しむのは万国共通の可能性」なのだということ。

そこにお国柄もない、そう考えると、自分の抱えている問題や葛藤に自信が持てる気がします。奇妙なことかもしれませんが。

 

親を大事にしなければいけないという観念が根強いアジア諸国だけでなく、自由の国アメリカでも、親との関係に苦しむ大人になった子供たちがいるのだということ。

そして「母と娘」の関係はどこでもややこしく面倒なものなのかもしれない、ということ。

 

個人的に、日本で書かれた毒親本を読むと、自国の事例なので心理的距離感も近いのですが、近いがゆえにちょっとしんどくなったり、

「あーー我が国ィィ」と自国がゆえに自国を恨めしく思うみたいな現象も発生していました。

日本は確かに滅びゆく島国かもしれませんが、実際そこにしばらく住まなくてはいけない者にとって自分による自国サゲの発生はなかなかにキツいものがあります。
だからこそというか、やはり、洋書の翻訳版を読むと視座が高くなる気がします。

余計なルサンチマンを抱えなくてすむというか、よりクリアな目で自分が知りたかったことに対処できる気がする。

見えないけれど万国の連帯の糸の可能性を感じる。そういった意味でも、本書を読むことはおすすめです。