おおむらさきの日記

読書と映画、生活いろいろ日記

【読書】【ネタバレ注意】種の起源 / チョン・ユジョン【韓国ミステリ】

種の起源●チョン・ユジョン●ハヤカワミステリ

 

 

図書館にてハヤカワミステリコーナーの背表紙を眺めていたところ、『種の起源』と書かれた本を見つけた。一瞬、ダーウィンの本?なんでここに?と思い、手に取ってみる。すると韓国女性作家のミステリーとのこと。最近韓国文学に興味があるので不思議なご縁を感じ、借りて読んでみた。

 

とても面白かった!ので感想を書きます。めちゃくちゃネタバレしていますので注意してください!

 

ストーリー

裏表紙によればストーリーはこんなところ↓

 

25歳の法学部生ユジンはその朝血のにおいで目覚めた。すぐに外泊中の義兄から電話があり「夜中に母のジウォンから着信があったようだが、家の様子は大丈夫か?」と尋ねられる。自分が全身血だらけなのに気づいたユジンは床の赤い足跡をたどり、階段の下に広がる血の池に母の死体を発見する・・・・・・時々発作で記憶障害が起きる彼には前夜の記憶がない。母が自分の名前を呼ぶ声だけはかすかに覚えているが・・・・・・母を殺したのは自分なのか?己の記憶をたどり真実を探る緊迫の3日間。韓国ベストセラー作家のサイコミステリ。

 

さて、母を殺したのはユジンなのか?
この本は是非、事前情報は裏表紙くらいにして、「まっさらな状態」で読んで頂きたい本。


・・・といっておきながらですが、今から壮大にネタバレしても良いですか?

 

 

 

思いっきりネタバレ

母を殺したのはユジンなのでしょうか?

はい、そうです。そしてユジンは母の妹であるおばも殺します。しかも知らない女の人も殺しています。義兄も殺します。また、過去に一歳上の兄と父も死なせている。


・・・ということでユジンはたくさんの人を死なせている主人公でござる。

 

サイコパス?平凡な青年?

本書はサイコミステリなのだが、最初からユジンのことを「サイコパス!」とは感じなかった。

むしろ、はじめは、「普通の平凡な25歳の青年?」という感じに読める人物なのですが、読み進めていくうちに「悪人」へと「成長」していく。
いや、その「悪人」というのもちょっと違うかも。ユジンはともすると、ずっと「平凡な青年」。たしかにたくさんの人を殺しているが、いわゆる「悪人然」とした印象はあまり感じさせられなかった。

…書きながら思う、それが「サイコパス」ってことなのか?笑

 

「悪」の芽生えを追体験する読書

というのも、この本がユジンの立場から描かれた物語であるので、不思議と一緒になって「これが普通でしょ?」という感じで読み進めてしまえたからかも。傍から見たらそんなにたくさんの人を殺してしまえるなんて絶対「サイコパス」だよね。しかし、ユジンの内側から書かれたこの物語は、サイコパスをただ単に共感力のないやばい人・不可解、というような描き方をしていない。「サイコパス」であるユジンも人間として生まれてきて、育ってきているのよ!     

その人殺しという「悪行」の真の動機はなんだったのか?ということを読まされていくうちに、どこかユジンに共感しながら読めてしまった。うーーん、なんか、危険な読書だなぁ。


ユジンは確かに人を殺したけれども、それはすごく悪いことだけれども、その行為はユジンの立場にしてみれば純粋な行動だったのかも知れない、生きるために必要なことだったのかも知れない、という感想を抱いてしまった。不思議だね。

こちらとしては意図せず、そして作者としてはおそらく意図的に「悪」に対して理解させようとする物語にしている感じを受けました。


章タイトルにもあるように、「被食者」から「捕食者」へとユジンが変貌していくさまは確かに「悪人の誕生記」。

しかし、25歳のユジンは子どもの頃から母や叔母からの抑圧を感じている青年。その抑圧からの解放を強く求めたとき、「善人」のままでいられたのだろうか、とも感じた。

ユジンはかつて有望な水泳選手だったのだが、服薬のためにその成長を妨げられていたという経緯がある。服薬は精神科医である叔母の指示であり、母も実のところ葛藤しつつも、「ユジンを平凡で無害な人間に・・・」という思いもあり、ユジンに服薬を強いてきたのだった。…まあここら辺は子育てにおいてもかなり難しいところであると思う。


物語が進むにつれて、ユジン母の考えてきたことが残された日記によって明らかになってくる。母と叔母から自己実現を妨げられ、服薬をはじめ、彼女たちの制御下にあったユジンはその日記を読んで母の思いをどう受け止めたのだろうか。

 

サイコミステリだけど「成長物語」でもある

物語の全体を通じて、ユジンと年齢が近いからか、不思議と彼にそこまで嫌悪感を抱かない自分に気づいた。ユジンのような種類の抑圧や家族に対する葛藤(義理の兄弟と暮らす、など)を経験したことはないが、わたしにも少なからず家族に対しての確執はある。家族という病理に病むこともある。そしてそれを乗り越えようとしたり、それができずに虚無感に襲われることもある。外で言わないだけで、多くの人が抱えていることを、本書はサイコミステリーという形式に託して描いているからだろうか、ユジンをどこか嫌いになれないのかなと感じる。

あと、これが韓国の小説、というのもユジンにちょっと共感できてしまう理由の一つだと思う。やはりアジア圏同士、家族観というものもが似ている気がするので、欧米の小説だったらまたちょっと違う感想を抱いたかも。


あと、一人称が「ぼく」であるのもあまり嫌悪感を抱かなかった要因のひとつかもしれない。まあ殺人シーンはめちゃくちゃ残酷で私は読めたものではありませんでしたが・・・。サイコミステリの本領発揮でした。

 

被食者だった平凡な青年が捕食者へと変貌していくさまは、立場の逆転というある種の「成長」物語とも感じたし、どこか遠くへ行きたいと願いそれを実行していくさまは越境の文学とも読めた。
ユジンの母の「平凡で無害な人間に・・・」という願いは人間社会を生きる上で「親の愛」かも知れませんが、ユジンにとっては抑圧でしかなかったわけだし、自分らしく生きるには障害だった。その障害となっている壁を壊そうとし、逸脱をしようとする物語としても読めた。

実現のための手段は殺人ではあったが、最終的にそれでも生き抜こうとするユジンには強い生命力を感じざるを得なかった。

自分の欲望に忠実に自分の殻を破っていく様子に、人間の本性を見るというか…。
でも人間、結局そうなのかもしれないなぁ。なんだかんだ生きようと思うのかもしれない。

 

巻末のあとがきも読みごたえアリ

訳者のあとがきにありますが、作者のチョン・ユジョン氏が作家になると決意したのは15歳の時、1980年韓国の民主化運動が軍事政権によって弾圧された光州事件を間近で経験したことなのだそう。

氏が「悪」を追究し続けるのも人の中の暴力性を目の当たりにしたこの経験が大きいのでは、と訳者。
光州事件といえば、映画「タクシー運転手」で日本でもかなり認知度が広がったように感じるが、この悲惨な事件を契機に作家になると決意したそう。当時15歳だった作者には大きな衝撃だったことだろう。そしてその衝撃を原点に、人間の本性についての根本的な疑問の種火を絶やさず、関心を持ち続けたチョン・ユジョン氏。サイコパスと呼ばれるような「類いまれな悪人」だけでなく、「普通の人間」にも残忍な欲望、原初的暴力性があるということから目を背けなかった。

 

これはチョン・ユジョン氏のあとがきにあるのだけど、

道徳的でありたい、高潔な人になりたい、と願い続けてきた。だが私もあなたも、善とか悪に生まれついたわけではない。生存と繁殖のために生まれてきた。

という一文。
日本版タイトルの『種の起源』ってこのことをいいたかったのか、と感じた。「生存と繁殖のために生まれてきた」って身も蓋もなくなーい?と思いたいが、事実。そう本当はそれが事実なのだ、と改めて思う。人間も動物なんだよ…。当たり前なのに皆が忘れようとしていることを淡々と冷徹に突きつけてくる。

 

道徳と教育、幼い頃から学習してきた倫理的世界観をうちやぶることは難しい。でも平凡なハトにもタカの暗い森が存在する。


こちらも人間の本性についての指摘。普通の人間にも残忍な部分、暴力的な部分が存在するという、やはり冷徹で、そして確かな指摘。そうした部分から目を背けたくなってしまうし、意識的に忘れようとしてしまいがちな部分でもある。しかし、そうせず、タブーを描ききるところは著者の誠実さの現れでもあると感じた。

 

 

・・・長くなってしまいました。
普段あまり人が殺される物語などは読まないのですが、タイトルにひかれて読んでみたら、人間の本性について考えさせられる物語でした。
面白かったので、感想を長々と書いてしまいましたが、本当に何の事前情報もないままで読んでほしいです(今更)
あとがきも読み応えがありましたし、良い読書体験でした!