おおむらさきの日記

読書と映画、生活いろいろ日記

【読書】『文化系女子という生き方』湯山玲子 

 

 

 

古本屋にて、「文化系女子という生き方」というタイトルの本を発見。湯山玲子さん著。2014年発行です。

 

読了して感じたのは、うーん、決して「文化系女子」の味方になってくれるわけでも肯定してくれるわけでもない本だなぁということ。

端的にいえば「教養」も楽しみつつ「モテ」も楽しめ、みたいな本です。

あと、

「間違った文化系女子に喝ッ!」と本著の紹介文にあるのですが、まあ、つまり、そういう本でもありました。喝を入れる、みたいなノリがちょっともうヤダヤダ・・・となる部分はあります。張本勲でもあるまいし。そもそも「間違った」って何よ、とも。


また、この本は全体的に、著者の、文化系女子に対する“イメージ”で語られているという印象も受けました。いってしまえば偏見です。

著者がその“イメージ”を形成し、この本で語られるまでに至った、実在の「文化系女子」達は分母が少なそう。著者周辺の人々のお話かな。まあ社会学調査でもないのでそれは自由なのですが。大和書房ってこんな感じの本たくさんありますし。


うん、だから、ちょっとそんな感じで、全体的にだいぶバイアスがかかっているかなという印象。批評でもないしといってエッセイでもないし、うーん。この本は著者周辺の文化系女子達に対するお気持ち表明本だったのかも?

 

結局、「恋愛至上主義」なのか?

 

さて、著者はどんな「文化系という生き方」を勧めているかというとリア充腐女子を両立させる」というもの。

文化系女子、すなわち非リア充(p254)」とした上で、「腐女子リア充は両立できるんですよ!」と説く。

 

 

「ここはひとつ、ファンタジーの王国の住人であることをやめずに、現実の「何の萌えどころもない男子」に対して、腐女子が言うところの「恋愛以外の感情」を自分の中に見出して、アプローチしてみてはいかがでしょう。」(p254)

 

この文章は結構興味深かった。

面白いと思ったし、まぁ、そうだよね、とも思いました。
大先輩からの「よりよく生きるためのヒント」でもあると受け取りつつ、とはいえ、何というのだろう、だからこそ「まっとうですね」とも思い、距離感も感じてしまった。


大学の社会学の先生が授業中に、今の日本の状況を説明したあとで「というわけでね、皆さんはまずはね、就活をね、頑張ってくださいね。笑」と言ったときのなんとも形容できなかった感情を持ったときの瞬間が思い起こされた。
「はい、正しいと思います、でも、うーん・・・」みたいな・・・。未だになんか言語化できない。

文化系教養の世界で羽を伸ばしつつ、夢から覚めたら実生活でも人間と渡り合い、異性に対して自分から行動する・・・・・・。「何の萌えどころもない男子」に対して「恋愛以外の感情」を自分の中に見出してアプローチする……わかるようなわからないような…。

そもそも、文化系女子、という時点で女性性はずっとそこから剥がれないのです。「文化系人間」という大枠で話をしてもいいような気がするのですが、この本はfor女子。文化系女子というラベルを作られてしまった時点で「恋愛」からは抜け出せない仕組みになっているようです。2010年代っぽいと個人的に思います。

 

 

ともかく、なんか、湯山玲子さんのこの一文に、「ま、真っ当すぎる・・・」と思ってしまったのは自分だけ??

と思わずキョロキョロしてしまいそうに。そして「それは文化系女子じゃなくて、もうただのリア充なんよ!(CV:ノブ)」と思ってしまったのは自分だけでしょうか…?
私が「真っ当すぎる」と思うことを世の皆さんは「ナチュラル」に「両立」できてしまっているのでしょうか。
戸惑い反発しつつも大先輩の「喝」になんだかんだ動揺させられている自分。
とはいえ、こんな感じで、いわゆる「世間的に真っ当なんだろうな」ということを文章にされたものを読むと、王道だとされている生き方に対する理解が自分の中で一気に進むような感じはしました。それは発見というか収穫でもあったといえます。

 

2014年に書かれた本というのもあり、著者もかなりベテラン的な年齢の方というのもあり、「多様な生き方があるよね」「それでいいよね」という受容というよりは「やっぱり恋愛もする生き方の方が幸せじゃない?ね?」みたいな提案の圧は若干感じたかなぁ。
著者が自分や自分の生き方、自分の身につけてきた文化教養に自信があるが故の「両立のすすめ」。
まあそうなんだろうな、「両立」、素晴らしい言葉ですよね、と思いつつも「文化系」と「女子」が組み合わさって結局(いや案の定というか)、「現実を見ろ」的な言説と「実生活での恋愛」が取り沙汰されることには変わりないということに「??」と混乱する気持ちも正直なところある。
2014年はまだMETOO運動もなかったし、2022年の現在のようにアセク・アロマとかもここまで理解されてなかったし、まだ女性誌発祥みたいな恋愛本とかもたくさんあったし、そりゃ今読んだらちょっと受け入れられにくい部分もあるよね。今出版されるとしたら「文化系女子のここがいい」みたいな内容の本は出ると思う、こんな「喝」の方向性ではなく、良さを受容し、こんなにも世界が広がる、と愛でるような。

著者自身が「文化系なのにリア充というバイリンガルです(p91)」
とのことだから、恋愛至上主義時代を生き、文化教養も摂取してきた、そんなご自身の生き方を勧めている気持ちがベースにある本とも言えると思います。ってか、バイリンガルと形容するのね、とちょっと引っかかる。
まあ、その「バイリンガル」になかなかなれなくて、もがいたり、諦めたり、あるいは葛藤したりする女性が多いのが今の現状だとも思います。少なくとも私の感覚では今、恋愛をするのってちょっと難しい感じがする。恋愛の世界を掘り下げるより、文化系の世界を掘り下げる方が簡単だしやりやすいし楽しい、みたいな感覚はある。
私の中で、恋愛は「相撲」を想起させる。がっぷりとぶつかる感じ。一対一の勝負。
いまあえて相撲部に入りたいという子は多いだろうか?相撲より、もっと自分を成長させてくれて、仲間がいて、疲れなくて、楽しい部活はたくさんあるよね、選べるんだから選ぼうよ、そんな感じ。恋愛より楽しくてやりがいのあるエンタメは多様にある。〈エンタメ〉に〈仕事〉が入る人もいるでしょう。

 

タイトルに惹かれてこの本を手に取った2014年当時の「文化系女子」たちは読了してどう思ったのだろうかとちょっと気になるところではあります。「そのままの生き方で良いのよ」とは言ってくれなくてげんなりする人もいたんでしょうか。それとも、「恋愛も頑張らなくちゃ」と意気込んだ人もいたんでしょうか。(恋愛を頑張るって何?って感じだけど。)
2022年に読むとちょっと「ん?」と思うような部分もあるかなあと言うのが私の感想です。

 

あと、ちょっと気になったところ。著者は男と女のオタクの違いとして、女オタクは同好の士の中でマウンティングしない、男はする、と言っているのですが、いや・・・なんか、著者自身がめちゃくちゃマウンティングしているように見えます。笑
例えば、出会った「日本酒女子」に対して。
「日本酒は知っているかもしれないけれど、日本酒文化として通るはずの開高健も読んでなかった!知らなかった!話にならなかった!」みたいな。こういう描写は頻繁に出てきます。勝間和代さんに対しても「誰かが言ってた」として「一冊の本も読んでなさそう」みたいな唐突なディスりも・・・。自分のお眼鏡にかなわないとダメなのかしら?という印象は受けた。うーん、あとなんか、全体を通して、やや「名誉男性」っぽさを感じました。「文化系女子」達が「自分たちの王国」で誰にも迷惑をかけずに楽しんでいるところに「あなたたちは文化系女子ではない」「全然知識がたりない」「これとこれも履修せねば名乗る資格はない」と古参オタクの先輩として突然侵攻してくる感も受けたかな。かと思えば「開国しろ」とずっと言っている感じも。笑

 

 

あえてガチで読み込んで読書会したい本かも

 

こんだけ長くこの本についてのモヤモヤを書き連ねてきた私ですが、逆に言うと、この本は、わざわざ感想を書かせるような、それだけのエネルギーを出させる本だとも言えます。考えれば考えるほど、ちゃんと理解しようと思えば思うほど良くわからなくなりました。

読了後3ヶ月たった今でもたまに思い出して、はて?結局アレは何だったんだ?と思うので、思い切って書いてみた次第。

レンタルした映画に出てきた登場人物に思いがけずめちゃくちゃ胸がときめいてしばらく頭から離れなくなったときに、ふと、「これって私、いいんだろうか」と思う瞬間があったのです。冷静に考えてみて、良いも悪いも別にないのですが、架空の人物に胸を焦がす自分にどこか動揺し、「胸を焦がしたまま」ではいられなかったのです。つまり文化系の世界に入り込むのを防ごうとしているような自分もいたのです。それってこの本の影響かもと。「両立をすすめる」という、現実に即した、真っ当な、おそらく愛のあるススメは、人がその考えに明瞭に触れたとき、フィクションの世界に心奪われるのをやんわり阻止するだけの力があると思います。夢見る少女じゃいられない、ってやつです。それってとても現実的ですが、何かを得る代わりに何かもまた失っていると思うのです。

 

 

BL研究したい人が読んだらどう思うんだろ


長くなってしまいました。この本と同じく特にまとまりはない感想ですね。
いまではBL研究なども結構進んできて、文献もあるように感じますが、そんな学術研究的な本とは違って、とりあえず読みやすいので「文化系女子」系、を知るためのとっかかりには良いかもしれない、と思います。「文化系女子」に対する謎はどちらかというと深まるばかりでしたが・・・。
どこかのレビューで、おそらく企業の人が、文化系女子のペルソナを知るために本著を読んだ、よく知れて良かった、みたいなレビューがありました。私はそんな風にこの本のすべてをふむふむぅと受け入れたわけではないのですが、まぁとにかく2010年代の本として読んでみるのも悪くないかも知れないです。
BLに対する章もあったりするので、サブカル研究、BL研究している人にもサンプルのひとつとして興味深く読める本かも知れません。湯山玲子さんの本はまだこれしか読んだことがないので、他の本も読んでその世界を探ってみたいですね。